安酒一杯

「常識で考えろ!」「普通に考えたら分かるだろ!」子供の時に怒られた。でも、「常識」ってなに?「普通」って?大人になってから考えてみた。

人殺しはなぜいけないのか?

「人殺しは悪いこと」というのは多くの人に共通する認識だろう。私もそう思う。

だが、なぜ「人殺しは悪い」とされているのだろうか?

信仰する宗教によっては「神がそう言ったから」というのが理由になる。では、そういった宗教を持たない人にとって「人殺しは悪い」という根拠は何なのだろうか?

私の意見は「平和を脅かすから」だ。詳しく言うと、「罪の無い人々が安心して暮らせる社会を壊す可能性があるから」だ。

この様に考える理由について、これから説明していく。

一般的に「人殺しは悪い」とされる。一方で、良いとされる人殺しもある。良いというのは「積極的にやれ」という意味ではなく、やむ終えずしなければならない為「悪い事ではない」という意味でだ。

その良いとされる殺人は例えば以下の3つだ。

・正当防衛

・戦争

・死刑

勿論、これらの殺人にも反対意見はある。だが悪事を働いた訳でもない人を殺すことに比べると、上記の3つは良いという意見を持つ人は多いだろう。

上記の3つに近いものの、悪い事だとされる殺人がある。

・過剰防衛

・戦争下での虐殺(例)ベトナム戦争におけるアメリカの行為

・身体的苦痛を与えることを目的とした死刑

これらの違いは何なのだろうか?「殺人」という行為自体が悪なのではなく、どこかしらで線引きされた基準によって「良い」「悪い」に分けられている。では、その線引きはどこで行われているのか?殺人が「良い」になる条件は何で、「悪い」になる条件は何なのだろうか?

この条件が「平和を脅かすか、否か」ではないかと思う。つまり「罪の無い人々が安心して暮らせる社会を壊す可能性が有るのか、無いのか」だ。

まず、殺人は平和を脅かす行為だ。誰がお金欲しさやストレス発散などの為に殺人が行われれば人々安心して暮らせない。平和を脅かすから悪だ。そして、こういった行為は起こらないようにしなければならない。その為に殺人者には罰を与える。

しかし、上記の良い殺人(この言い方は倫理上よくないだろうが、説明を分かりやすくする為にこう表現する)はどうだろうか?

例えば正当防衛、これは平和を脅かす行為だろうか?安心して暮らせる社会が崩れる原因になるだろうか?答えは否だ。包丁を持って、人を刺しながら暴れる男を棒で頭を叩いて殺してしまっても平和を脅かしたとは言えない。むしろ、平和を脅かす存在(包丁を持った男)から社会を守った。だから、悪い事とはされない。

戦争や死刑も同じ様に平和な社会を脅かす存在を排除する目的で行われるから、悪いとされることが少ないのだろう。

だが、良い殺人に似ているものの悪いとされる殺人はどうだろう。

例えば過剰防衛、これは行った側の方が平和を脅かす存在になる。お酒のトラブルで揉めて殴られたとしても、その仕返しに複数人で滅多刺しにすれば、刺した側の人が社会にとっては脅威だ。

戦争下での虐殺も同じ理由だ。アメリカ軍がベトナム戦争で行った行為にソンミ村虐殺事件というのがある。簡潔に言うと、アメリカ軍兵士がベトナムのソンミ村を襲い、非武装で無抵抗の住民を成人、子供、乳幼児、男女関係無く無差別に殺した事件だ。これには国外からだけでなく、アメリカ国内からも批判が相次いだ。

また、捕虜の殺害も戦時国際法で禁止されており、イラク戦争におけるアブグレイブ刑務所での捕虜の虐待、殺害も同様の批判を受けた。

武装時は平和を脅かす存在として認識されるが、武装を解除した以上は脅威が無くなったのだから、そういった存在を攻撃するのは平和を守る行為ではない。むしろ、攻撃出来ない人を攻撃する、またはそのような行為を認める方が社会にとっては脅威だ。

同様に、死刑においてより効果的に身体的苦痛を与えることも禁止されている。もっと言えば、死刑ではいかにして身体的苦痛を与えずに殺せるかが考慮されているぐらいだ。これも社会の脅威を排除する目的と身体的苦痛を与える行為が合致しないからであろう。

このように人殺しがいけない理由は「平和を脅かすから」であり、詳しく言えば「罪の無い人々が安心して暮らせる社会を壊す可能性がある行為だから」だと考える。