安酒一杯

「常識で考えろ!」「普通に考えたら分かるだろ!」子供の時に怒られた。でも、「常識」ってなに?「普通」って?大人になってから考えてみた。

多数決が正しいとは限らない?

タイトルの様に感じている人は多いのではないだろうか?

「多数決で決まった事だから従うべきだ。」

この様な意見に違和感を覚えた人もいるだろう。

では、なぜ多数決で物事を決めるのだろうか?

それは多数決が簡単で、公平で、最も多い意見を反映しているように見えるので、「納得しやすい」からにすぎないと思う。決して多数決による判断が正しいからではない。

しかし、この多数決は最も多い意見を反映していない場合すらある。

例えば、ある広島の中学校で修学旅行先を20人の生徒が投票で決めるとする。候補地は東京・京都・大阪・福岡の4つだ。

多数決の結果、東京9票、大阪6票、福岡5票だった。そして、修学旅行先は東京に決定した。

この決定は一見、最も多い意見を採用している。

しかし、投票方法を候補地を一つだけ選ぶのではなく、一人ひとりが1〜4位までランキング付けする方法にしたらどうだろうか。仮にその結果が以下だったとする。計算が面倒なので、同じ候補地を1番に選んだ人達は偶然にも全く同じランキングを付けたとする。例えば、東京を1番にした人は全員が東京→京都→大阪→福岡という順だったとする。

 

東京を1番にした人(9人)

 1位東京 2位京都 3位大阪 4位福岡

大阪を1番にした人(6人)

 1位大阪 2位京都 3位福岡 4位東京

福岡を1番にした人(5人)

 1位福岡 2位京都 3位大阪 4位東京

 

どうだろうか?

まず、それぞれの2位を見てほしい。クラス全員が2位に「京都」を挙げている。この場合は修学旅行先は京都にするのが、クラス全体にとって望ましい選択ではないだろうか?

しかし、多数決では京都には1票も入らない。

次に、大阪、福岡を選んだ人の4位を見てほしい。どちらも「東京」になっている。大阪を選んだ人は6人、福岡を選んだ人は5人で合計11人だ。対して、東京を選んだ人は9人。9人が「東京」を1位に選んだが、11人が最下位に選んでいる。過半数が東京を望んでいない。

しかし、多数決では東京に決定する。

この様に多数決は最も多い意見を反映してないことすらあるのだ。

では、どんな方法であればいいのだろうか?

この多数の意見を集約する方法は今なお議論されており、確実にこの方法が正しいというのは確立されていない。

上の修学旅行先を決める方法であれば「ボルダ得点」という方式で一応は決着が着く。気になる方は調べてみてほしい。

では、多数決が全く使えないのか?

いや、そうではない。

多数決が正常に機能する条件は「2択」であることだ。他にも嘘の情報が無いとか、空気に流される様な状態を作らないなどもあるが、大雑把に言えば二者択一であれば良い。

3つ以上選択肢がある場合は上の例のように全員に2位になる選択が無視されたり、過半数が望まない結果が選ばれる可能性がある。

何よりも大切なのは多数の意見を一つにまとめる時に、そのまとめる方法にどんなメリット・デメリットがあるか考えた上で、そのまとめ方を使うことだと思う。