「お客様は神様です」の真意。
コンビニやファストフード店などで「お客様は神様だろ!」という態度で店員に接する客を稀に見かける。
その様な光景を見て、呆れた人もいるだろう。
そもそも「お客様は神様です」という言葉は誰が、どんな目的で、どういった意味で言ったのだろうか?
この言葉は、ある演歌歌手が最高のパフォーマンスを発揮する為の心構えとして言ったものだ。
その演歌歌手とは三波春夫さんだ。
詳しくは御本人のオフィシャルサイトの中で、 “「お客様は神様です」について”に記載されている。
このサイト内で上記のフレーズについて取材された際の返答が書かれている。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです』
まず「完璧な藝を見せる」という目的がある。その為には、神前で祈るときのような、雑念を払って澄み切った心にならねばならない。その為に、お客様を神様とみて、歌を唄うのだ。
そして「演者にとって」お客様を歓ばせるということが絶対条件。だからお客様は絶対者。絶対者=神様というわけだ。
お客様が偉いから神様とは書かれていない。
さて、コンビニ店員にとってお客様を歓ばせるのは絶対条件だろうか?
答えは「No」だろう。
勿論、お客様に歓んでもらえる様な接客をするのは素晴らしいと思う。しかし、絶対条件かと言われれば違う。コンビニ店員の絶対条件は物を売る事だ。その物を手にいれることに対して、客は対価としてお金を払っている。
それ対して、演者の場合はどうだろうか?客は何に対してお金を払っているのだろうか?それは「感動」や「喜び」、或いは「楽しみ」だ。だから、演者にとって客を歓ばせるのが絶対条件なのだ。
コンビニやファストフード店に「感動」を買いに来てる人がいるだろうか?そうであれば、何も物を受け取らず、接客だけ受けて金を払って帰ればいい。物は受け取って、さらに感動まで寄越せというから変になるのだ。
勿論、高いレストランに行ってサービスが余りにも悪ければ文句を言ってもいいだろう。そこには出される料理以外に丁寧な接客という「感動」にもお金を払っているのだから。
「お客様は神様だ」と客側が言うのであれば、自分がキチンと「感動」に対してお金を支払っているかを考えなければならない。
高いサービスを受けたければ、ファストフード店ではなく、銀座の高級レストランに行けばいい。どうしてもファストフード店で良質なサービスを受けたいのなら、1万円でもチップを先払いすればいい。そうすれば店員も懇切丁寧な対応をしてくれるだろう。
見合った対価(お金)を払わず、「これをくれ」「あれしてくれ」というのは神様ではない。乞食(こじき)だ。
むしろ、金品を受け取らずとも人に奉仕する方が、よっぽど神様に近いと思う。