安酒一杯

「常識で考えろ!」「普通に考えたら分かるだろ!」子供の時に怒られた。でも、「常識」ってなに?「普通」って?大人になってから考えてみた。

仕事って何?

仕事とは価値と価値の交換だと思う。

何かを提供して、代わりに何かを受け取るのが仕事。

例えば、Aさんが魚を釣って食べても、それは仕事とは言わない。これは自給自足や趣味と呼ばれる。でも、Aさんが魚を釣って、その魚をBさんが作った服と交換すると仕事になる。

これは何が違うのか?

交換をしているか、していないかである。

ちなみにお金を貰うことは仕事に絶対に必要な条件ではない。

例えば、参加したいアイドルの握手会が2,000円だとする。その2,000円を稼ぐ為に居酒屋で時給1,000円のキッチンのバイトをする。そこで稼いだお金でアイドルの握手会に参加する。この時は2時間作った料理と可愛い女の子の握手を交換している。

ただ、2時間作った料理をアイドルの子にあげてもそんな沢山の料理は喜ばないし、代わりに握手してあげようとはならない。

この様に自分が欲しいもの(有形・無形問わず、上の例の場合は握手)を持っている人が自分が提供できるもの(上の例の場合は料理)を欲しがっているとは限らない。こうなると自分が欲しいものを手に入れることはほぼ永遠に不可能。

これを上手くいくようにお金を間に挟んで価値と価値の交換がスムーズにいくようにしているのが貨幣社会だ。 

物々交換で成り立てば良いけれど、それだと不便だから、より便利なものとしてお金を使っている。お金が生まれる前(物々交換の時代)から仕事はあったのだから、お金が無くても仕事は成立する。

そして、仕事は価値と価値の交換である。交換の為に絶対に必要なのは『提供』だ。

だから『仕事は辛いものでなければならない』だとか、『趣味は仕事にならない』だとかはそんな事ないと思う。

ただ仕事が辛いものになりやすい要素はある。それは相手が求める形で『提供』しなければならない事だ。交換である以上、こちらは相手が欲しいものを、欲しい形で提供しなければならない。欲しい形とはその物の質、量、提供するスピードだ。

上の魚の例を使うと、相手が『鯖が欲しい』と言っているのに秋刀魚をあげてもダメだ。『獲れたてが欲しい』と言ってるのに2日前のをあげてはダメ。『3匹欲しい』と言っているのに1匹だけではダメ。『今日の夕飯までに欲しい』と言っているのに明後日あげてもダメ。

この様に相手が欲しい形に整えなければならないのが仕事が辛くなりやすい要因である。自由気ままに釣りをして獲った魚を、自分の欲しいものと交換してくれる人がなかなか居ないのだ。