安酒一杯

「常識で考えろ!」「普通に考えたら分かるだろ!」子供の時に怒られた。でも、「常識」ってなに?「普通」って?大人になってから考えてみた。

「熊を殺すのは可哀想」じゃあカラスは?

人里に降りた熊が猟友会に射殺されたニュースを知って、「熊が可哀想だ」とか「殺すなんて酷い」と非難する人がいる。

そんな人達はカラスに対してはどのように接しているのだろうか?

熊を殺すことに反対する人の主張はおおむね以下の様なものだろう。「熊が人里に降りてくるのは人間が山を開拓して、山に十分な食べ物が無くなった為だ。人が原因で人里に熊が出没しているのに殺すのは酷い。」

私も一部は同意する。殺される熊は可哀想だし、人間のせいで空腹になった熊を殺すのは酷い行いだ。しかし、猟友会を非難する資格は無いと思う。

熊の射殺に反対する人はカラスに対してどのように接しているのだろうか?

カラスへの餌やりは多くの地域で禁止されている。ゴミ出しのルールでもカラスがゴミを漁らないようにネットを掛けるよう指示されている。

これらの理由はなんだろうか?1つはゴミを荒らされると町が汚れるからだ。2つ目はカラスが増える事によって糞害や騒音に繋がるからだ。

食べ物が無ければ空腹になり、死ぬ。こんなことは誰でも知っている。生きる為にカラスはゴミを食べる。ゴミはカラスが食べなくても燃やして灰にするだけだ。それすら食べさせない。これが人里に降りた熊の射殺とどれ程違うのだろうか?

「食べ物をあげないのは間接的に死ぬ理由になるかもしれないが、射殺のように直接殺した訳ではない。」という反論があるかもしれない。それは尤もな意見だ。

だが、人間の動物への対処法だけを比べてどちらの方が良いかは判断できない。判断をする為にはそれぞれの動物の状況、人間に与える可能性のある害、動物への対処法の3点が必要だ。サバンナにいるライオンの射殺と動物園にいるウサギの射殺を同じ射殺なのだからどちらも同じくらい可哀想という判断にはならない。

では、熊とカラスの境遇を比較してみよう。

人間が山を開拓したせいで住処や餌を奪われた為に人里に降りた点は両者共に同じだ。

人間の動物への対処に関しては熊は殺されるが、カラスは食べ物を与えられないだけで殺されはしないという違いはある。

人間が受ける害に関してはは、熊は人を殺すが、カラスはゴミを散らかすか糞で町を汚すか、精々絆創膏すら要らないような攻撃をされるだけだ。

これらを比べた時に熊とカラスの扱いに大きな差はあるのだろうか?

人を殺す可能性のある熊に対しての射殺は正当性は無いが、町を汚すカラスが生きる為に食べようとするゴミを食べさせないようにするのは正当性があるのだろうか?

「人の命を危険に晒しても熊を殺すべきではない」という程に慈悲深い人が「カラスが生きる為に漁ったゴミを片付けるのは煩わしい」と感じる訳が理解できない。